おっしゃるとおり、僕は、昔から老いていたかもしれない。老いというのは相対的なもので、後輩の君から見れば常に僕は「老いて」いる。だけど、僕が(そして多分君が)言いたいのは生きてきた時間の話じゃない。知識を獲得し、知識を運用し、知識を供給する、そのサイクルにいかに身を適応させるか、そういうことを当たり前と思えるかどうか。そういう話のはずだ。
無知は強みでもあり、弱みでもある。知らなければ幸せなこともあれば、無知ゆえの不幸もある。同様に、知恵もまた、強みでも弱みでもある。知らなければ幸せなことが、世の中には意外と多いのだが。そのことを知ったときには、多分、全てが遅いのだ。
僕の言う「老人」とは、すなわちそういう知識に対する知識を活用/悪用できる人間だ。先に生まれたかどうかは、関係ない。
そして――人はそれを「老人」とは呼ばず「老獪」と呼ぶのだけどね。