(遡及的)漫画原創展

 番組制作会社を訪問した際、Dashan氏から上海当代芸術館でマンガ展をやっているとの情報を教えてもらう。GW中に杭州で行われていたアニメ・マンガイベントの一部が上海に流れてきているそうだ。せっかく教えてもらったので、行ってみることに。
 上海当代芸術館は、人民広場の公園内にある小さな美術館だ。人民広場は、緑の少ない上海の中心部にある数少ない公園で、いつ行っても大勢の人民が憩っている。老人が二胡を弾いていたり、中国将棋を指していたり、親子連れがラジコンを走らせていたり、凧を揚げていたり、コスプレイヤーが衣装合わせをしたりしている場所だ。
 その三階建ての小さな美術館では、「漫画原創展」というタイトルで、海外の漫画が展示されていた。中心にすえられているのは「日本漫画大師・手塚治虫」の展示が。上海で手塚の原画が見られるのか! と感動しつつ、展示ブースへ。
 展示は年代ごとの手塚の作品を紹介しつつ、アニメーション制作にも触れる、という流れだった。キャプションはすべて日本語(問題がある気がするが)、手塚が少年時代に描いた写生画など貴重なものも展示されていた。『リボンの騎士』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『僕の孫悟空』『W3』『ふしぎなメルモちゃん』など、手塚の原稿がそのまま展示されているのも凄い。日本でもここまで揃っているのを目にすることは宝塚以外では珍しいのではないか。アニメーションも、初代アトムに始まり、ジャングル大帝、僕の孫悟空などの代表作や、「ある街角の物語」のような単発のものまで幅広く放映していた。
 惜しむらくはキャプションが日本語で、しかも紹介に終始しており、内容の突っ込んだ説明や、展示されている原稿がストーリーのどの部分に当たるのか、などの情報が欠落していたため、手塚漫画を知らない中国人が観て、どれだけ理解できるものだったか疑問であった。
 そりゃ、我々は『ジャングル大帝』の、ヒゲオヤジがルネに毛皮を差し出しているページを見るだけで泣けるわけですがね!
 が。
 一点だけ、納得がいかない。
 否、むしろ、憤慨していると言ってもよい。
 「手塚治虫は中国アニメの影響下にある」
 「手塚がアニメーション制作を志したのは、14歳の時に見た『鉄扇公主』の影響」
 「『僕の孫悟空』は戦前の中国アニメ『孫悟空』のパクり」
 ……いや、もうずいぶんこっちにいるので、この国のお国自慢をたいていは笑って流せるようになりましたが。
 これだけは、別。
 キャプション書いた人がどれくらいマンガの歴史に詳しいのかは分からないが、この部分は現在の日本マンガ史において、かなりクリティカルな部分なわけで、散々研究された分野でもあるのですよ。
 少なくとも、現在の日本のマンガ・アニメが手塚(およびその後継者)の影響を強く受けていること、手塚自身がディズニー(と当時の様々な映画)の影響を強く受けていること、そして、アメリカにおいてディズニー的手法がヒットした1930年代の社会的背景と、手塚が頭角を現す1950年代の日本の社会的背景に相関性が見出せること、などは、すべて密接に関係したファクターとしてまとめて捉えられているわけで、その中で、中国アニメの影響を語ろうと思うのであれば、それが手塚の中でどのように消化されたか(『西遊記』をモチーフにしている、とかそんな表面的なものじゃなくて)、および、それが当時の社会的な素地とどのような関係にあるかぐらいは言わなくては不十分であろう。だいいち、その論法で行けば峰倉かずや先生は中国文化の影響下にあることになっちゃいますよ!
 もう一つ言うならば、手塚が「我々東洋人のアニメだね」と感心したことを重要視して取り上げているのだが、手塚のマンガやアニメを見る限り、東洋的なものにアイデンティティを見出しているようには思えない。他の初期のアニメーション、たとえば『8マン』や『鉄人28号』と比較して、『鉄腕アトム』の非土着性は際立っている(この辺、星新一ショートショートの匿名性と非常に似たものを感じるのだが、この問題についてはまた別の機会に)。
 せめて、その辺りを事情をちゃんと汲んで、上海の人にマンガが大衆娯楽として持っている要素についてちゃんと説明して欲しかったのです。この国のマンガが、今のところダメダメなのは、こっちの人に聞いてもほぼ100%同意してもらえることなのだが、それがなかなか先に進まない原因の一つに、「マンガ・アニメについて真面目に語ることがくだらない」「意味がない」「どうせマンガでしょ」という発想が支配的である点があるようで。それをひっくり返すような、ちゃんとした紹介や啓蒙が一番求められているのだと思うのに、こんなときに中華思想を前面に押し出しても、百害あって一利なしだと思うのだが。
 ただ、一つフォローしておくならば、戦前〜文革直前の中国のアニメーションは、世界でも有数のクオリティを誇っていた。技術・美術性・独創性において、日本のアニメなんて軽くぶっちぎっていたのである(ソ連など社会主義国で発展したクレイアニメの発展と似ているかもしれない)。当時の水墨画アニメーションや切り絵アニメーションは、センスや技術の面から見ても、現在の作品と比べても遜色のない出来である。いや、現在の中国アニメよりもはるかにクオリティが高いと断言できる。そのはしりである『鉄扇公主』が、手塚に何も影響を与えなかったとは思えないし、手塚の対中国観に大きな影響を与えていることは否定できない。もっとも、日本以外の東アジア圏を舞台にすることが(『孫悟空』など一部の作品除いて)極端に少ないのは、第二次世界大戦の記憶と、その後の新中国と日本の微妙な関係を背景にしているのだろうが(この辺の問題と、横山光輝石森章太郎の中国の扱い方を比較するのは面白いかも知れない)。
 言いたかったのは、やれば出来る子、なんだから、ちゃんとやろうぜ、ということ。面白いマンガが読めれば、それがどこの国で作られようが知ったこっちゃないんですよ。