お返事

 コメントにコメントで返すと非常に長くなりそうなのでエントリして書きます。
 あと、敬体で書くとまたうにょうにょと分かりにくく書いちゃいそうなので、説得力を持たせるために常体で書きます。どうかご容赦ください。また、野本氏個人ではなく、自分が見聞きしたゲーム会社の人の話などから推測したことについて書いているわけで、個人攻撃とか、弁解とか、そういう意図はありませんのでご理解いただければと思います。(言い訳はここまで)

野本 2009/09/06 09:51
開発は,納得のいくつくりの商品を送り出したいもの。
だから,ゲームが好きで,なおかつ高度なスキルが必要。
一方営業・人事は発売予告日にきちんと商品を出し,
予定していた利益を出し続けるようにするのがお仕事。
だから,変に入れ込んだゲームへの愛は邪魔ものになりがち。

……そんなもんです。

 まさにこのコメントこそが、僕が前のエントリで問題にしたかったところ。「ゲームが好きな人」の話をしていたはずなのに、それが「変に入れ込んだゲームへの愛」の話とが、どうしてイコールで結ばれているのだろう? ということが、前回のエントリで話たかったことの一つだった。「変に入れ込ん」でいることが、開発とっても、営業人事にとっても有害であることは言うまでもない。しかし、それは本来的にはバランス感覚とコミュニケーション能力の問題であって、ゲームが好き・嫌いとリンクさせるのは飛躍ではないのか?
 ゲームが好きな人が「変に入れ込んでいる」ことは、往々にしてある。実際、この「ゲームが好きな人って、変に入れ込んでいて使いにくい」という意識は、人事の人の実感に基づいている(はず)。企業面接で「ゲームが大好きです」といえる人間の八割以上が使えない人間なのかもしれない。が、それは包摂関係であって、イコールではないはずだろう。ところが、いつの間にか「ゲームが好き」だと「使えない(具体的にはコミュニケーションしにくい)」というステレオタイプとして定着している。そして、それがステレオタイプであることに無自覚であることを、前の文章で問題にしたかったのである。
 というのも、「ゲーム好き=コミュニケーションしにくい」というステレオタイプは、開発と営業人事との間の調整の際の齟齬や乖離を、ゲームが好きではない人、少なくとも自分がゲーム好きだとは思っていない人にとってとても都合よく説明できてしまうからだ。自分はあまりゲームが好きではない(ので冷静に話が出来る)のだが、相手はゲームが好き(なのでコミュニケーションが苦手)なので、調整が上手くいかないのだ、と説明できてしまう。
 これが、一種のコミュニケーション拒否であることは、言うまでもないだろう。
 このようなゲーム会社の中の人による「ゲームが大好きな人はゲーム業界に向いてない」という言説が、あくまで自分を含まないものとして、自己と他者を差別化する意図を持って発せられていることと、(それがゲームセミナーという場において発言されたという意味において)「向いている/向いていない」ということが何らかの価値判断をしていることについて、漠然とした閉塞感を感じた。
 それは、結局のところ、現在のゲーム好きな開発者(多分大勢いるはず)や、新たに業界を目指すであろう学生たちと、営業・人事担当者のコミュニケーション能力を制限する方向に働くのではないか。それが、現在危機的状況にあるというゲーム業界の足を、思いっきり引っ張ってしまうのではないか、と不安になったのである。
「ゲームに対してどんなスタンスでも構わない。スキルとコミュニケーション能力のある人間を優先的に取る」といったほうが、はるかにヴァリエーションのある、面白い人材を集め、社内の風通しも良くなるのではないか、と大きなお世話ながら思ったのである。