「ゲームが大好きな人はゲーム業界に来るべきではない」

 CEDEC業界研究フェアのつづき。
 今回のフェアで一番耳にしたのが、「ゲームが大好きな人は業界に向いてない」という人事の人の言葉。ゲームを遊ぶことが好きだからといって、ゲームを作るのに向いているとは限らないし、往々にしてゲームを遊ぶことの延長線上でゲームを作ることを考えて、現実とのギャップに辞めていく人がいるのも事実だとは思う(ゲーム会社の中の人ではないので、ゲームが大好きな人と、そうでない人の離職率の差が有意なのかどうかはわからないが)。
 どうやら、向いていない、という言い方の裏には、言外に「ゲームが大好きな人間は使えない」という了解があるようだった。人事の人の経験的に、ゲーム好きな人間はコミュニケーション能力が低くて、仕事をなおざりにやりがちだと思われているらしい。実際そんな人が多いのだろうとは思う。
 ただ、コミュニケーション能力が低かったり、真面目にきちんと仕事をこなすことができないことと、ゲームが好きかどうかをリンクさせて語るのは(たとえそれが正の相関性があったとしても)人を集める上でマイナスにしかならないのではないか、と思った。
 今回の基調講演を担当した遠藤雅伸にしても堀井雄二にしても、名ゲームデザイナーの中には、とんでもなくゲームが好きなひとが大勢いる。というか、ゲームがあまり好きではない天才ゲームデザイナーは聞いたことがない。それらの人を排除してしまう言い回しが、果たして本当に効果的なのだろうか。
 人事担当者の悩みとして語られていた「クリエイターがサラリーマン化してしまっている」という現象は、ゲームがそこそこしか好きでない人間を集めた結果としてみれば、当然だと思われる。嫌いじゃない程度の熱意の人間を選んで入れれば、そりゃ、給料分しか働かないのは当然だろう。
 あるいは、「『向いていない』といわれたぐらいであきらめるような人間は、どっちにしろゲーム業界に向いていないのだ」という言い方が本音なのかもしれない。本当は、面接でゲームが好きな人間以外、全部弾いているのかもしれない。だとすれば、ずいぶん持って回った鎌のかけ方だと思うし、それで失われわれる人材が惜しくないというほど、人材の有り余っている業界ではない(から、苦しんでいるのではないのか?)。
 「ゲームしか興味のない人間」が使い物にならないのと同じぐらい「ゲームにあまり興味のない人間」も修羅場で役に立たないだろう。
 「ゲームが人並みは外れて好きなのは当たり前で、その上でどんなスキルがあるのかが問われています」といったほうが、おそらく馬力のある優秀な開発者を集められるのではないか、と感じた。
(さらに言えば、なぜ「向いていない」という否定的な言い方をしてしまうのかを考えてみたら、本当にゲームが好き過ぎてイっちゃってる人は、人事ではなく開発の現場にいるはずなので、人事の人はひょっとしたらゲームがそれほど好きじゃないんじゃないか、と思った)