冲方丁『天地明察』(角川書店,2009)(ISBN:404874013X)

 ずいぶん時間がかかったものの読了。文章自体は非常に読みやすいので、単純に通勤時間がラッシュ時なので本が読めない、というだけの原因。
 江戸時代、幕府お抱えの名門囲碁棋士でありながら、天文・算術・神道陰陽道など、マルチな能力を持つ安井算哲こと渋川春海が、算術や天文術を通じて多くの人の協力を得、国産初の暦を生み出すまでの過程を描く時代小説である。が、読後感として最も近いのはF.ブラウン『天の光はすべて星』と小川一水第六大陸』だった。いわゆるプロジェクト達成型のSFである、と言っても誤りにはならないだろう、多分。
 現在のわれわれから見れば、江戸時代の暦に誤差があることは自明である。しかし作中の時代には、中国から伝来し、800年に渡って日本を支配してきた暦法の持つ権威が、たった一人の人間によって覆されるのである。文字通り「天地がひっくり返るような」衝撃によって、世界が一変する感覚は、やはりSF独自の快楽に通じるように思う。
 同時に、作中に登場する人物が、いずれも非常に爽やかなのである。算術の天才・関孝和垂加神道創始者山崎闇斎囲碁界の革命児・本因坊道策、いずれも出世や富貴よりも、自分の道を究めることを目指し、仲間への助力を惜しまない好漢として描かれている。人間くさいエゴや嫉妬をむき出しにするような人物は誰一人としていない。春海は途中、何度も他人の嫉妬や妨害を受けるのだが、その部分の記述はさらりと流している。おそらくは、作者が意図的にそのような描写を避けているのであろう。未知なるものへの期待と好奇心、そして、何か新しいことをなすべきで、自分にはそれができるはずだ、という使命感と自信が、物語の前半で語られている。
 それと対照的に、物語の後半は、それら夢を共有した仲間が、志半ばに次々と退場していく。それぞれの分野で第一人者となった人々が、できることを全てやりつくし、春海に後を託して淡々と世を去っていくのである。しかし、そこに漠とした寂寥感はあるものの、「死」を扱う重苦しさは感じられない。
 この小説は最初から最後まで、「人が一生かけて追い求める理想」の持つ幸福と苦悩を描いている。しかし、作者にとってはひょっとしたら、その理想が達成されるか否かはどちらでもいいのかもしれない。クライマックスであるはずの改暦達成が、非常にあっさりと描かれているところを読むと、ついそう考えてしまう。「達成できるか否かではなく、追い求める理想のあること自体が幸せなのだ」という話なのだと思う。