ついったー

 先週のお茶会以来考えていることがある。
 端的に言えば、「ツイッターは日常コミュニケーションのコストを増大させているんじゃないか」という問題である。
 きっかけは、例会でsayukが言った「これオフレコなんでツイッターとかに書かないでくださいね」という発言。
 ツイッターは書き込みの障壁が低い(個人的にはそれほど低いと思わないのだが)ので、容易に情報が不特定多数に漏れてしまう可能性がある(具体的な話ではなく、可能性の話として)。例えば、「今日はどこどこでだれだれと会った」と書き込むことで、「どこどこにだれだれがいた」という情報が、本人の同意なく不特定多数に公開されてしまいかねないわけだ。場所ぐらいならまだしも、会話の内容すら、(一見するとそれが個人的な体験であるかのようにみえるため)本人の知らないところで、不特定多数に公開されかねない。
 それを避けるためには、常に「これはオフレコなんで」という断りを会話の冒頭に入れなければならない(もちろん、入れたところで晒される可能性はゼロにならない)。以前でも、うっかりした個人情報の漏洩はあったわけだが、ツイッターはその障壁をずいぶん下げてしまったのではないか、と思ったのである。ツイッターのシステム自体が「誰もが、誰の発言でも見ることができる」ことを前提として作られているので、個人情報の漏洩に繋がりやすいんじゃないか、と。今の段階ではそんなしょっちゅう晒されるわけでもないが、ツイッターをアクティブに更新している人が増えれば増えるほど、情報が漏れる可能性は飛躍的に上がるわけで。
 となると、日常会話ですら、「Twitterに書かれたら不都合なこと」は口に上らせるのを躊躇せざるを得なくなるのではないか。その場の文脈から切り取られて「○○が××についてこう言っていた」と文字化される可能性が存在することは、それだけで口語コミュニケーションを大きく阻害するのではないかと思うのだ。バカ話がバカ話ですまなくなる可能性がちらつくことは、自由なコミュニケーションを損なうことになりはしないのか。
 それに加えて、ツイッターの気持ち悪いところは、その情報がほぼリアルタイムで速報されうるところにある。一日の終わりにPCを立ち上げてブログ更新、というペースではなく、まさに「○○さんとアキバなぅ」なのである。速報する必要のない情報を、皆が一生懸命速報している状況に、何か違和感を感じる。
 さらに言えば、ストーキングやらソシャルハッキングやら、悪意のある使い方はいくらでも思いつく。ましてやTwitter.comが悪意をもってデータの収集を行えば、どれほどのことができるのだろうか。今のうちは規模があまり大きくないため、人々の理性と善意への信頼で成り立ちうるが、この先、規模が拡大するにしたがって問題がわらわらと出てきそうな予感がする。
 自分の知らないうちに、自分の一挙一動がリアルタイムで公開されうる世界。まるで『トゥルーマン・ショー』のような、プライベートすら娯楽として供給・消費される世界へ繋がっているようで、どうにもツイッター(それ自身というよりも、四六時中携帯からツイッターを更新する行為)に居心地の悪さを感じてしまうのである。おじさんだからね。


追記:同じようなことが、すでにここで書かれている、と言うことを知り合いのつぶやきから確認できるのは、非常に便利ではあるのですが。今のところ、Twitterが自浄作用で回ってるのは事実だろうし、もちろん、これからもそうあって欲しいと思いますが。それを、素直に信じられないのは、自分の心が貧しくなってきているからなのでしょうか。